やっぱり負けてしまいました,重松清 『卒業』

あれほど,『注意して読まなくては』と思ったのに。

1話目の『まゆみのマーチ』で母親の無限の愛の深さ,包容力に涙しました。それから2話目の『あおげば尊し』,3話目の『卒業』は比較的安定した心で読むことができたのでしたが,問題は4話目の『追伸』。

この短編集の最終話『追伸』の,最後の最後の1行に負けました。たった1行で泣けてしまった。

読んだのが,通勤電車ではなく風呂だったのが,不幸中(?)の幸いでした。

『まゆみのマーチ』に登場するのは,つまずいても,人から何と言われても,ただひたすらに自分の娘に「好き」を送り続けた母。母が子を愛する気持ちの深さ,そこが心を打ちます。

もちろん,子を愛する気持ちは「母」の専売特許ではなく,父であるおいらにもあります。が,チビ達に正面向かって「好き」と言ったことは,たぶん,ほとんどないと思われます(意外と,向こうはちょいちょい言ってくれるのだけど)。

本に影響されやすいおいらは,さっそくチビ達に「好きですよ」と言ってあげました。寝てるところだけど・・・。(照れるよねぇ)

で,問題作(?)の『追伸』。この短編集の中で一番感動しました。

母親が死んでいくときに,幼かった主人公に書き残した日記。そこには,わが子への想いがつづられていて,それだけで泣けてしまいます。普通の作家なら,この描写だけで1編の短編にしてしまうのではないか?という気がします。

ところが,重松清おじさんはひと味もふた味も違う。

実の母親が死んだ数年後,父が再婚して新しい「母親」が家に入ってきます。しかし,この新しい「母親」は,繊細だった実の母親とは全く違い,がさつで気配りが足りないタイプの女性。

タダでさえ,うまくいきにくい二人の関係は,新しい「母親」が実の母のが遺してくれた日記に勝手に書き込みをしてしまったことで決定的に壊れてしまいます。

主人公は大人になるまで(例によって,おいらの年とほぼ同じ。いつも重松おじさんの書く主人公は僕らの世代だ),母親として認めません。

でも,どんなにがさつで気配りが足りない人であっても,10数年をともに生きた母としての想いは実の母と同じ。それが,最後の最後に「追伸」という形で表現されます(ネタバレなので詳細は秘密)。

この「追伸」はたった1行。この1行を読んだだけで,ぐったりきます。これほどまでに,母の想いを感じさせる小説は少ないと思います。しかも,こんな不器用な母を通して・・・。

それにしても,重松おじさんはすごい。普通だったら実の母の日記だけで十分な想いを伝えられるのに,その何倍もの強いメッセージを,たった100ページの短編に詰め込められるのだから。

いやはや,人前で泣き崩れることのないよう,これからも細心の注意を払って,重松おじさん小説を読んでいこう。


〔追伸1〕
今読んでいる重松本は『いとしのヒナゴン』。さすがに,これは注意しないで人前で読んで大丈夫なんだよねぇ? こんな表紙だしねぇ・・・。

〔追伸2〕
ふと,学生時代に田舎の母から,リンゴやみかんと一緒に「お米」や「そうめん」「そうめんのつゆ」「スパゲッティー」「スパゲッティーのソース」などなど,明らかに日本全国どこでも手に入る物が満載になった段ボールをよく受け取っていたことを思い出しました。

「こんなの,送料の方がかかってるんじゃないのか~?」なんて思ったりもしましたが,今頃になって,子を持つようになって,本当にそのありがたみが分かってきました。実利じゃなく,その想いに対して。紙面(?)を借りて,ありがとうございました・・・。
m(_ _)m

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