また,重松清を読んでしまいました。
今回は,図書館で借りてきた『幼な子われらに生まれ』です。
バツイチ同士の夫婦。その夫婦の間には,妻が連れてきた小学生と幼稚園の二人の女の子がいる。主人公である父は,熱烈な恋愛で一緒になったわけではないのだが,この小さな,つぎはぎのような家庭を一生懸命守ろうとする。
しかし,小学生の姉は血のつながらない父を認めようとしない。そんな中,妻が3番目の子どもを宿したところから物語は始まります。
父は,離婚した妻が引き取った小学生の娘と,1年に何回か出会い,その愛嬌の良さや屈託のなさ,さらに「血の繋がり」を感じ,愛情を持っています。
一方,現在の家庭では,上の娘はすでに父を疎み,蔑むようになります。父は必死に「父であること」に努力し,演技し,そして疲れていきます。
そんな中,3番目の子ども,すなわち,夫婦二人にとって,初めて両方の血を受け継ぐ子どもが生まれることになりますが,これは,今居る二人のこども達にとってどんな意味を持つのかをはかりかねてしまうのです。
上二人は自分の血が流れていないが,3番目の子は自分の本当の子ども,,,なのか?
この物語では,「血のつながりとはなんだろう?」が大きなテーマになっています。
今,我が家には2匹のチビが居ます。おいら(もちろん,奥さまも)は,この2匹をこよなく愛していますが,それは,自分の血が流れているからなのか,それともそんなこととは関係がないのか?
たまに,小さい頃の自分と(今の自分とも)同じ事をして,思わず苦笑したり,うれしくなっちゃう時があり,そんなときには,「あぁ,間違いなくうちの子だわ…」と再確認したりしてます。
でも,血がつながっていない,としたら? さらに,来年には血のつながった子どもが生まれるとしたら?
う~~~~む,,,,,とうなりつつ,今日も右肩を下にして横向いている寝姿を見ながら,「やっぱり俺の子だ,こりゃ。」と思う,おいらでした。
追伸:
そんなに「大感動!」というわけではなかったのですが,実は文庫本化された時に相当加筆され,バージョンアップしたようです。(おいらが読んだのは単行本)